森の記憶「Slow Lifestyle Blog」

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愚見提言 アライグマと農家 2008/07/17 1:30 pm

皆さん、アライグマが日本に棲息しているのはご存知ですか?
元々、アライグマは北米原産であり、日本には生息していなかった。しかし、近年ペットとして飼われたアライグマが遺棄もしくは逃亡したものが野生化するようになったとのことです。


このアライグマが近畿圏内(都会ではない)に出没するんです。ある朝、農家の方が自分の畑に目をやると、自分の畑のトウモロコシが全て引き抜かれたとのこと。当然のことながら、農家の方は大激怒です。何せ、一年の働きがパーになる訳ですから怒って当然です。
この農家の方のみならず、近隣の農家も同じような被害にあってるとのことで、近所で犯人探しをしていたら、アライグマの仕業だと判明し、捕獲したとのこと。


農家から見れば、このアライグマは自分達の生活を脅かす敵です。しかし、このアライグマは、日本人が北米から連れてきて、遺棄したり、逃がしてしまったりしたことで、アライグマの天敵のいない日本で繁殖がすすんでしまった。


いうなれば、我々の身勝手さが生んだ事態といえます。この農家の方も被害者なら、自分の意思とは関係なく日本に連れてこられたアライグマも被害者です。自分達の欲や趣味で生態系を壊すようなことは慎むべきではないかと思います。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 豊かな社会、便利な社会と人間の幸福とは比例しない 2008/06/23 5:48 am

最近、確信にかわったある気付きを備忘録のつもりで書いてみようと思います。先日、ある科学者の方に、失礼とは思いながら、「経済も科学も、我々を豊かにしたり、便利な社会を到来させてくれたかもしれないけれど、豊かな社会、便利な社会と人間の幸福とは比例しない」と自分の意見を述べさせて頂きました。
幸いにも、その方は怒ることなく、私の意見にただ頷いておられました。


私は、経済も科学も我々を幸福に導いてはくれないと確信しています。今の企業社会には大局観がない。夫々の会社には立派な企業理念があり、それを実践し、素晴らしい会社に成長され、この世はそんな会社ばかりになっても、この地球上の大気汚染は進んでいくし、交通事故も少なくならないし、犯罪もなくなるとは思えない。企業は小石のようなものにしかすぎず、それを無数に積み上げても、城壁にはならない。
現代人は、ひたすら豊かさや便利さを追い求めてきた。しかし、それだけで、我々の後に続く者達を幸福に導いてやることができるのだろうか。豊かさ=幸福だと考えるのなら、今のままでいいのかもしれない。100年後の社会がどうなっていても、関係ない、自分の生きている今の時代さえよければいい。そんな考え方が今の企業社会にはあるのではないだろうか。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 今しか考えない社会に思う 2008/06/23 5:47 am

今を生きる者は、自分達が生きている時代とそのすぐ先の時代しか考えていない。
水道哲学でこの世は豊かな社会をもたらしたのかもしれないが、ふと上を見上げると、高圧電線だらけの光景を目にする。高圧電線、電磁波と人間の健康との関係が明確に証明されない限り、この状態は容認される。健康とは一切関係なくても、大自然と調和した本来の姿とは大きく異なる。私達の100年先の子孫達は、私達の時代よりも、もっと悪化した環境の中で生きていかざるえない。それが現代の名経営者や政治家がもたらした「今」なのである

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 「この世の道は無限なり」 さらば、偉大なビジネス戦士よ! 2008/06/23 5:45 am

ある経営者が今日を限りにビジネスの世界から去る。
内部留保を数億残し、数人の社員だけを残し、後の社員全員に退職金を支払い、彼が30数年の月日をかけて築きあげた帝国を、本日限りで実質閉鎖するそうだ。


この方と私は色々因縁もあり、今も複雑な感情をお互いに抱えているが、正直な気持ちを言うと、やはり残念でならない。私は幸いにも様々な経営者の方々とお会いする機会がありましたが、そんな第一線の経営者と比べても、この方の経営能力はやはり秀でていたように思います。ただ、下記の3要素が、この方の他の資質とうまく絡みあわなくなっていったような気がします。それが、私がこの方から学ばせて頂いた最後の教訓のような気がしています。


教訓1:顧客に支持されない商品や企業は存在しえない
教訓2:人が離反する組織は弱体し、やがて消滅する。
教訓3:現場感覚を忘れた経営は暴走、迷走し、組織を衰退させていく。


私は資本主義はこの世をゆるやかに滅亡させると考えている。そういう訳で、金儲けにはもう関心がないが、「この世の道は無限なり」を指針に、これを機会に否定し続けてきた資本主義の片棒をかついでみようかな。そうすれば、この方の心の闇を理解することもできるかもしれないと、ふと感じている。

さらば、偉大なビジネス戦士よ!
ゆっくりお休みなさい。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 経営の達人であっても 2008/06/23 5:41 am

先日、N社の名物社長のことがBSで放映されていた。私は最後の20分間しか見ていないけど、その凄いパワーに圧倒されると共に、その経営哲学は私のような下々の人間にも大いに参考になるものだった。
いつもは批判的に見ているのだけど、この時ばかりは「凄いなあ」と関心しきりだった。



でも、この人も単なる経営馬鹿だなと思う。



この人が生きている間は、今の生き方で問題ないけれども、今より明日、明日より明後日、そして100年先の未来の地球の環境汚染は更に進む可能性がある。絶滅する種も増えるだろうし、食料の問題もでるかもしれない。いつの時代も資本主義は環境問題をいつもなおざりにしてきている。経営者やその下で働く者達も、資本主義は絶対的普遍のものとして、疑問にさえ感じない人が多い。



この世に絶対などありえないし、いつかは資本主義さえも廃れる時がくるだろう。
ただ、自分達の生きている間は起きない可能性が高いだけ。



いつかは、この平和で国全体のセキュリティーの甘い日本の安全そのものを揺るがす大事件が起きるかもしない。そうなれば、平和ボケの日本は上に下への大騒動になるだろう。そんな事態が長続きすると、経済への影響は避けられないだろう。この世の繁栄は平和だからこそ得られるのである。中には戦争で儲けている商人達、その恩恵を受ける産業もあるのだが、大きな視点でみれば、国の平和こそが経済の発展につながる。



だから、経営者は会社を大きくすること以上に、社会への関わりにもっと関心を持つべきだ。社業の発展こそが社会への貢献という考えだけではあまりにも視野が小さいといえるのではないか。
私のような名もなき雑草が語る言葉よりも、大輪の花の言葉の方が重く、その影響力は計りしれない。社業が停滞しても、国が繁栄し、世界が繁栄し、地球との共生が進めば、経済も繁栄し、会社も繁栄するのではないだろうか。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 今日も雨は降り続ける 2008/06/23 5:39 am

人間が生きている間には喜や楽の時間よりも、怒や哀の時間が長いに違いない。

人は皆、なんとか喜や楽の時間だけが来るように望むものの、自分に降り注いだこの雨はいっこうに止む気配さえない。

「あぁ辛いなぁ、悲しいなぁ、早く健康になりたいなぁ、早くお金がほしいなぁ、早く愛されたいなぁ。」と嘆いても、状況は変わる気配さえない。

人は知識だけでは、物事の本質を掴むことができない。健康もお金も愛情も友情も失って初めて、その有難さがわかる。

「あの時、もっと大切にしてあげればよかったなぁ。」とそう思える時、人は確実に成長しているに違いない。

順風満帆な人生よりも逆境の人生にこそ、貴重な学びがある。
そう思えれば、自分に降り注いでいる雨にも感謝の念を抱けるのではないだろうか。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 楽しいこと、やりたいこと、できること 2008/06/23 5:37 am

精神世界の教えはよくわからない。

《やりたいことをやりなさい》という教えがある。
《いや、できることをやるべきだ》という教えもある。
《いやいや、楽しいことをやるべきだ》という教えもある。

私の友人は、こんな教えに遭遇する度に牛若丸をしてしまう。
やりたいことをしても失敗する人が多い、
だからできることをするのだ、だから楽しいことをするのだということらしい。

私なら、楽しいことを選択する。
今は楽しくなくても、未来の自分が楽しめるものを選択する。
私の信条の一つに、体験は知識を凌駕するというものがある。
体験程、素晴らしい学びはこの世には存在しない。

失敗とは物資的な利益を喪失したことを指すから、上記のような議論が生まれる。
健康もお金も友人も愛情も失ってみてこそ、初めてその有難さがわかる。
この世は体験しないとわからない学びが存在する。
この世に生を受けた者には使命や生きるテーマがある。
それがなんなのかを探る意味でも、様々な体験をしないとわからない。
そして体験は楽しくなくては意味がない。
世間の常識では苦であっても、自分にとってはどうなのかが問題だ。

私は壮絶な過去体験があるが、今となれば楽しいと思える。
そう、今は苦痛でも、将来楽しいと思えるなら貴重な体験だ。
単に世俗的な成功だけを望むなら自分の器を見極め、
できることからコツコツやるほうが絶対にいい。

しかしながら、私は楽しい、将来楽しいと思えるものを選択し、体験していく。
私は、笑っている自分、楽しんでいる自分、喜んでいる自分、
過去の壮絶な体験に負けなかった自分が一番好きだ。

これからも、かけがえのない自分を磨いていきたいと思う。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 幸せも悲しみも少しずつ進む 2008/06/23 5:35 am

人間の実感として、幸せへの道は少しずつしか進まないのに対し、
悲しみだけは一気にやってくるというものがある。

悲しみの体験があまりにも強烈な為に、そういう印象を持って
しまうが、悲しみも幸せも、ゆっくり時間をかけて進行しているのである。

私の信条の一つである「あるがままに」というのは、今の状況
を真摯に受け止め、今を楽しむというものだ。
私は起業の為に2回も高給の職を辞したので、今は失業中だ。
昨日、所用で明石駅近くの三井住友銀行に行った帰りにスタバでスチームドミルク
を飲んでいた。

その時、こんな言葉が降りてきた。
「なあ相棒、お前は必ず成功する。だからこんな昼間からゆっくり時を過ごせるのは
今だけなんだよ。焦らず、この瞬間を楽しもうじゃないか。」

私は、今のこの時間は、二度と帰らないことに気づいた。
悲しみも絶望も幸福も貴重な「今この時」の体験の一つである。
そうだ、未来は私の信念通りにゆっくり進んでいるのだから
「今この時」をゆっくり楽しもう。

私は幸せだ!
神様ありがとう!

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 時は今しか刻まず 2008/06/23 5:34 am

新しい扉(世界)に入ろうとする時には古い上着を脱ぎ捨てよう。
そして、心身共に真新しくなる覚悟をもとう。
不思議なことに全部捨てる覚悟を決めた時から、自分が育てるべき良い種(使命)は残され、次の世界でスクスクと育まれいていく。
運命の岐路にさしかかった時は捨てる勇気をもとう。それが運命打開の一番の方法である。

自分にとって本当に必要なものは、次の扉の世界でも巡り合えるようになっている。人間は日々手ばなし、日々巡り合っているのである。時間は連続しているのではなく、いまこの時のみが存在している。

過去の痛みも未来への恐れも何も存在しないし、この世にあるのは今という時間だけである。
明日は明日の風に任せて、今を生き抜こう。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 美しき人 2008/06/23 5:32 am

私は総合的なパーソナリティー(魂も肉体も含める)において、本当に美しい人を知っている。

彼女がそばにいるだけで空気は浄化され、私の身体の細胞の隅々まで癒しのエネルギーが流れていく。
私は彼女を舞い落ちた天使だと密かに呼んでいる。勿論、彼女は知る由もなく、私が勝手に一人で呼んでいるだけである。

この世も捨てたもんじゃない。
本当に美しい人が存在する限り、いつかハートフルな社会ができるのだろう。

私はいつの日か、彼女の持つ性別や人種、年齢さえも超越した美しさの根源を表現したいと思っている。
美しい心は全ての美の根源であると思う。

磨くべきは心であり、魂なのだろう。
私ももっと人間を磨かないといけないよなあ。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 寿命 2008/06/23 5:31 am

人の寿命は魂の使命と大きく関わりがあるのではないかと思える。
魂がこのパーソナリティーでは使命が果たしえないと判断すれば肉体から去るだろうし、使命を達成した時もそうだろう。

しかしながら、我々パーソナリティーレベルにおいても、新たな使命を構築するのは可能だ。
但し、その時に手にしているものを捨て去る必要がある。
そして自分が心底楽しいと思える、あらたな使命を構築しなければならない。

今日、とある広大な公園の大きな池の周囲を散歩中に、自分の寿命に関するメッセージがおりてきた。
私はこのメッセージの意味を、このまま突き進むと○6才までの寿命ですよ、という教えだと理解した。

又、こんな声も聞こえてきた。
「お前はエネルギーのバランスが悪い。
大きな悪を知った時に、より大きな善の存在を知る。
自分の中の下等だと思える感情やエネルギーさえも愛し、認めてあげなさい。
精神性の高いものだけに目を向けすぎてはいけない。
神さまは善も悪も全てを愛している。これが自然の摂理だよ。
お前の首筋の後ろにエネルギーが塊すぎている。そこを風通しよくしよう。」
といいつつ、鋭角的なものが私の首筋の後ろを突き刺した。
不思議なことに、その後自分の中の澱んだエネルギーが開放されて、清清しい気分になった。

正直なところ、なんでこうなったのか、又、その意味さえもわかりません。
聞こえた声は私の潜在意識かもしれませんが、この声は沈みかけている私を間違いなく救いました。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 時間旅行はいかが? 2008/06/23 5:29 am

もしも時間旅行に行けるなら、
     私はどの時間に行くのだろうか。
実は行きたい過去(時)がないことに思いついた。
あの時は少年だったから、無知な青年だったから乗り越えられた時間であった気がしてならない。

楽しい思い出もあるのだが、夫々の時の節目には強烈な悲しみや絶望があった。それを知っている、いまの私にはあの時には戻れない。

もし時間旅行ができたら、私は未来に行くことを選択するのだろうか。
人生の終焉を向かえようとする年齢に達しようとしている未来の私は、今の私に何を語ってくれるのだろうか?

私は、年老いた未来の私にこう言いたい。
「お疲れ様です。私は私で在り続けたことを誇りに思います。ありがとう。」と。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 今日だけの人生 2008/06/23 5:28 am

生きるのが苦しいと思える時には「自分の人生は今日だけだ。」と思うようにしている。

明日を思い煩ってしまうことがどうしてもある。
そんな時に、無理に明るい未来をイメージングするのは困難だ。

J・マーフィーの人生は思い描いた通りになるとの説は真理ではあるが、悲嘆にくれる日々が何年も続くと、絶望の感情を完全に消し去るのは困難だ。
生き方の根底に宗教観がある場合は、これらのイメージングはうまくいくに違いない。

しかしながら、私のような無宗教の人間達には絶望時の幸福のイメージングをなんて無理だ。
だから私は、私の人生はこの日一日だけであると考えるようにしている。

昨日も明日もないのだと思うようにしている。こう考えれば、昨日の嫌な傷を忘れることができるし、明日への恐怖さえ少なくなる。
その上で、自分のしたいことをイメージングする。私のような弱い人間には一番適している方法だ思っている。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 思考(成功願望)が現実化しなくてもいいじゃないか! (^-^) 2008/06/23 5:26 am

私は思考(成功願望)が現実化しなくてもいいのではないかと思う。

私は事業家に不向きなのかもしれないし、向いているのかもしれない。
私は金持ちになれるのかもしれないし、極貧生活をおくるのかもしれない。
私は長生きするのかもしれないし、あと数年の命かもしれない。

成功の椅子に座れば、誰かが座れないかもしれない。
私の夢が実現すれば、幸せになる人もいるだろう。
反対に不幸になる人もいるのかもしれない。

私が成功を夢みても、不幸が訪れるかもしれない。
でも、どんな事にも意味があるのだし、必要な学びである。
私は今の現実をあるがままに、有難く頂くことにした。
成功するもよし、失敗するもよし。
私は一番楽しいと思える道を歩く。
だから、思考が現実化しなくても何も問題はない。
一番大事な事は、自分らしく歩くということだ。

どんな明日でも、自分らしく生きぬくぞ!
(^-^)

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 物質的成功なんか気にせず、正しい道を選ぼう!( 2008/06/23 5:24 am

昨日、弟から激励メールをもらった。
弟達とは、私が父の借金を肩代わり返済する為に、家業を捨て、家をでてから疎遠になってしまっていた。

私は家族の未来の為に、全てを捨てて死にもの狂いで働いた。
お陰で、父の借金を5年間で全て返済することができたが、
その期間中、家族とは会う時間さえなくなった。

私が父の借金を完済し終え、実家に電話すると継母から「借金を返済した位がなんや、家を捨てたくせに」と非難された。
この借金は父と継母の派手好きな性格が作ったものだった。
父の借金は私が全て支払ったが、私の家族は一切金銭的な支援はしなかった。その時の孤独感や幼少の時から家族の生活のために働いてきた、その鬱積した思いが、とうとう爆発してしまい、以降父とも継母とも会っていない。
それに伴い、実家と近距離にいる弟達とも疎遠になってしまったが、心のどこかにひっかりがあった。

ある時、神社にゆかりのあるチャネラーに、弟達と疎遠になったいきさつを話すと、「あなたは家族に十分過ぎる位に奉仕しました。あなたが家族にしてあげる使命は終わっています。これからは心の底で皆の幸せを祈ってあげてください。」といわれたこともあった。

そんな時、弟から「兄貴程の人物だから、必ず正しい道を選択し成功する。リラックスして自分の直観を信じて行動してや。」と激励メールをもらった。この弟は私の生き様をちゃんと評価してくれていた。離れていても心は通じていたのだ。

私は、このメールから非常に大事な事を学んだ。
金銭的な成功をおさめるのが正しい道の人もいるだろう、失敗をすることがその時の正しい道であることもあるだろう、人に奉仕することが正しい道である人もいるだろう。
物質的な成功と魂の気付きとは全く別のものだから、夫々に歩むべき正しい道を歩いてくのが魂の気付きであり、真の成功であると思う。

世の物質的な成功者、いわゆる多くの経営者は事業の成功と魂の成長(成功)を同一のものと見なしているが、これは非常に傲慢な考え方である。
私は物資的成功は、スポーツでいう基礎練習の一つであると考える。基礎練習の一つに成功したからといって、自分の魂や人間性まで成長したと思うのは大間違いだ。

人間が成すべきこととは、自分が生まれた本質的な目的を発見し、魂の目的を遂行するということだ。
自分という存在は、何百年たとうが、何千年たとうが、この世でたった一人なのである。
このパーソナリティー(肉体や心、思想)でしか成し得ない何かがきっとあるはずだ。

世界で一番大切な自分自身の為にも、自分が進むべき正しい道を選択しないといけない。
自分にとって正しい道を歩いている時、この上ない幸福感に浸れる。人は自分が幸せにならない限り、他人に優しくはなれないのだ。
自分が歩きべき道は、自分自身の潜在意識や魂レベルが知っているのだ。だからリラックスして。その答を得なければならないのである。

私は自分の過去を振り返り、それらの持つ意味を検証し、ある選択をした。
私は必ずやり遂げ、私が私である真理を探究したい。
弟よ、ありがとう。
君のお陰で大切な事に気付いた。
本当にありがとうございました

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 幸せ草の育て方 2008/06/23 5:22 am

私の家の近所に3人の女学生がいます。
彼女達は全て一人っ子です。

私は彼女達を2才の時からよく知っています。
彼女達がまだ小さかった頃に近くの公園で、よくセーラームーンごっこをして遊んでいました。

私が休日に付近を散歩していると、この3人から「おじちゃん、妖魔になってくれへ〜ん」と、よくお誘いを受けました。

3人共素直ないい子でしたが、小学校卒業時期からB子ちゃん、C子ちゃんに異変がおき始めました。
A子ちゃんは明るい性格で、学校というよりも付近の超人気者になり、B子ちゃんは友達もなく暗い子になり、C子ちゃんは学校にも行かなくなりました。

A子ちゃんは自分の事が大好きだといいます。
B子ちゃん、C子ちゃんは自分の事が好きだとはいいません。
A子ちゃんのご両親は、A子ちゃんを的確に、そして体全身でたくさん褒めてあげたそうです。
A子ちゃんは小学校時代にはやや苦手だったスポーツも、今では学校の水泳部のエースだそうです。

実はB子ちゃん、C子ちゃんが、なぜ暗い子になったのか真の理由はわかりません。
しかし、誰もが持つ幸せ草はご両親が、近所の大人が育ててあげるべきですし、そういう社会風土を作る必要もあります。

我々大人からみたら些細な事でも、子供の世界では大成功だ、褒めてほしい、なんてことがよくあります。
子供が褒めて欲しいと思うことは、絶対に褒めてあげるべきだと思います。
大人は子供が持つ無限の素晴らしさ、輝きをドンドン発見して、その事実を教えてあげないといけないのではないでしょうか。
褒める、叱る、このバランスを欠いた教育は、人間が持つ幸せ草の種を開花させにくくしてしまいます。
私は人を正しく褒めてあげる事こそが真の教育だと思います。
世界で唯一無二の存在である自分の素晴らしさを知ることこそが、幸せ草を開花させていきます。

私もA子ちゃんのように、「自分が大好きやねん。」といえるように、自分をたくさん褒めてあげようと思います。
私の幸せ草も、大きく大きく開花させてあげたいと思います。

いつか私の幸せ草の種がどこかに飛んでいきますように。

\(^▽^)/ヽ(-^〇^-)ノ

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スピリチュアルBlog > SoulNavi あなたの言葉を求めている人がいる 2008/06/23 5:21 am

昨日は一日中、雨でした。
こんな雨の日には、いつも恩人から頂いた手紙のことを思い出す。

もう18年以上も前の事になる。
あの時も、自分がどう歩いていけばよいのか悩み、悩みの迷路を彷徨っていた。

そんな時だった。
私は、恩人より心の梅雨という一遍の詩を書いた手紙を頂いた。

詩の内容は、人にも心の梅雨というものがやってくるけど、
お金でも、友人でも、健康でも失ってみてはじめて、その有難さがわかる。
人間は、そうして物の道理や真理を学んでいく。
心の梅雨が来る度に、心の痛みを感じる毎に、君の魂は成長しているのである。
そう思えば、心の梅雨にも勇気を持って対処できよう。
しかしながら「この世に止まなかった雨はないのである。」
という様な内容だった。

私は、この止まなかった雨はのフレーズが大好きだ。
この詩を書いた人が、どれだけ悩んでいた人かがよくわかる。
これは魂からでた言葉だ。
真剣に生きている人だけが生み出せる言葉だ。
言葉自体に命が感じられる。
命の言葉は人の心の奥底に響いてくる。

そうだ、どんなに苦しくとも雨は必ず止むのである。
私は、そういい聞かせて生きてきた。
苦しい事が来る度に、この言葉を思いだして踏ん張ってきた。

もし、皆さんの周りに心の梅雨に苦しんでいる人がいれば、
「この世に止まなかった雨はないのである。」と激励してあげて下さい。
苦しみの海にいる人は、心のこもった言葉で救われます。

苦しみぬいたあなたには、魂の言葉をかける資格がある。
いや、かけてあげる義務がある。
苦しみの海に彷徨う人を救えるのは、同じように苦しみ抜いた人だけです。
あなたなりの魂の言葉をかけてあげてください。

あなたの救いの言葉を求めている人が、そこにいます。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 善の善なる病と善の悪なる病 2008/06/23 5:19 am

私の友人に、この世に生きるにはピュアすぎる男がいる。
この世界ではピュア=馬鹿な奴になる。
もし彼が人を利用する、生悪説の要素を取り入れた生き方を選択すれば、
彼は凄い仕事をやり遂げたに違いない。
しかし彼はそういう生き方をせず、ピュアな生き方をしてきた。
だからとても傷つき、彼の魂は悲鳴をあげている。
そんな人達を応援する為に、その存在の大きな意味を探る意味で、今日の日記を書きました。

( ^.^)( -.-)( _ _)( ^.^)( -.-)( _ _)( ^.^)( -.-)( _ _)( ^.^)( -.-)( _ _)( ^.^)( -.-)( _ _)( ^.^)( -.-)( _ _)

〜 輝き続けるピュアな存在 〜

純粋無垢な魂はとても傷つきやすい。
色でいうと純白であり、穢れを知らない人魚の様なものかもしれない。

しかし、人魚が泳ぐべき大海はとても汚れている。
人魚が選択する道は二つしかない。
汚染された海に順応する、つまり自らも汚れて生きていくことを選択する。

もう一つの選択は汚染された海にあっても、絶対に汚れない、絶対に汚さないように生きていくことを決意することである。

もし、この世の水がとても綺麗なものなら、誰もが魂に正直に、人の幸せを第一に考える素晴らしい世に中になっていただろう。

しかしながら、現実の社会はそうはならなかった。

純粋な魂がこの社会の汚れを真正面から受け止めた時、計り知れないダメージを受ける。
反対に、この社会の汚れに染まる方法を選択した場合は、とてつもないダークな色に染まっていく。
私は、この社会の汚れと戦い、心にダメージを受けた人を、善の善なる人と呼び、社会の汚れに染まる事を選択した人達を善の悪なる人と呼んでいる。

両者の根は全く同じだ。
善の善なる人達も、善の悪なる人達も、純粋だがとても脆い存在なのだ。

善の悪なる人が、限りなく黒色に染まれば犯罪者、程よく染まれば世の成功者になるが、心の底はいつもオドオド、ドキドキした不安な毎日を送っている。
彼らは善の悪なる病に侵されているのだ。

善の善なる人は、この社会の汚れから逃げなかった勇気ある人達だが、とても傷つき生き絶え絶えになっている。
彼らは、善の善なる病に侵されているのだ。

しかしながら、この善の善なる人達こそが未来の社会の希望の灯なのである。
これらの穢れなき魂達は、この世の全ての人間の善なる部分と繋がっており、この世の善の灯を増やし続けている。
これからも善なる魂の存在は、少しずつ増加していくだろう。
そして、その存在がある一定数に達っした時、この世は劇的に変化するだろう。

もしこの世に穢れなき魂の存在がいなくなったら、この社会が再生する機会は永遠に消滅してしまう。
頑張ろう、自分の存在にもっと、もっと自信を持とうではないか。
心にダメージを負った事自体はとても悲しいことには違いないが、この善の善なる病は、あなたが純粋無垢な魂である証なのだ。
私は、そんな人達こそが尊敬に値する人間であると確信する。
共に頑張りましょう!

★善の善なる人と善の悪なる人について★

私なりの解釈ですが、人の意識としては顕在意識と潜在意識、集合意識があり、そして魂という存在があると思います。
魂とは、何回かの輪廻転生を繰り返したパーソナリティーの意識を含む大きな塊のようなものではないかと思っています。
従って、自分という存在は魂の一部であると考えるのが正しいような気が致します。

この世に根っからの悪い人はいなというのは、魂レベルの事を
指しているのではないかと思います。
魂に穢れはありません。
全ての人の魂は善であるものの、その行為においては善と悪に別れる。
そういう意味において、善の善なる人と善の悪なる人に分類されるのだと思います。

私は何年か前に、ある著名な霊能者に「あなたには何かを革命できる力がある。しかし、あなたは自分がトップに立つ事を非常に恐れている。だから人生が停滞している。あなたは人を傷つけることを異常に恐れている。」といわれた。
その方はさらに
「この世には傷つくことを学ぶ為に生まれた人もいる。金儲けして猜疑心にさいなまれ苦しむことを体験する為に生まれた人もいる。この世に存在する全てのものは、必要不可欠なのですよ」と教えられた

私はこの霊能者を通じて、善なる人も、悪なる人も、魂は善であるということを学びました。

しかしながら、今の社会の価値判断では何千年たっても、
精神性の高い社会は構築することは不可能でしょう。
絶対に変えなければいけないものがある。

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 笑顔で開運 《笑いながら歩きましょう》 2008/06/23 5:18 am

子供にはユーモアセンスを教えてあげてほしい。

ユーモアのある子供は人に好かれる。
自分のユーモアで、人が心を開くのを目の当たりにするから、人をドンドン好きになっていく。
ユーモア人間に、まさか人間嫌いはいないだろう。

ユーモア人間の周囲には人が集まる。
運は人が運ぶものだから、幸運に恵まれる機会も多くなる。
ユーモア人間は良く笑う。
だから、人が良さそうに見える。

同じような顔立ちなら、笑顔の良い人が綺麗に見える。
ユーモアのない商談や折衝は上手くいかないケースが多い。

ユーモアがない人の所には人が集まらない。
だから、だんだん孤独になる。
運を運んでくれる出会いが少なくなる。
そして世の中を冷めた目でみるようになる。
だから人が集まらない。
孤独を心の中にしまい込む。

笑えない、苦しい時にこそユーモアで、大笑いしながら、
不幸の影を吹きとばす必要がある。
不運の悪魔は、笑顔のない人間やユーモアのない人間が大好きのようだ。

だから子供には、ユーモアや物の楽しみ方を教えてあげたいものだ。

明るく笑い飛ばす、どんな状況でも楽しみを見つけ、明るく元気に歩いていくと、お金も成功も向こうからやってくる。

人は極限の苦に追い込まれ時、笑えない人間は終わる。
自然が一番には違いない。
しかし苦の状況が大きい時には無理して笑わないと、次にはいけない。
自らが物質的な成功を捨てて、悟りの世界に生きるなら、自然な姿で過ごすほうがよい。
しかし社会と関わっていくなら、土壇場に追い込まれたら、
楽しむ、笑わないと脱出できない。

ユーモア、笑顔、どんな状況でも楽しめる、そうなれば不幸が来にくくなる。これが開運術なのだろうか。
いつも自然に笑顔がでるような人間になりたいなあ。
それだけで人生成功したようなもんだから。


m(__)m
ちなみに、私はへそ曲がりなので不幸が来るとわかっても、
笑えない時には笑うかいという性格です。
「金儲けがなんぼのもんじゃい、社長がなんぼのもんじゃい」と思っています。
成功の定義や価値観が人とは違うので、無理には笑いません。
だから苦しい思いをしています。(泣)
皆さんは、明るく笑顔で歩いてくださいね。

( ・_;)( ;_;)( ;_;)(>0<)

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スピリチュアルBlog > SoulNavi 約束を破棄されても許しましょう! 2008/06/23 5:16 am

「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)という本の一節に、
縛られる約束はよくないというようなことが記載されていた。

全くその通りだと思う。人を苦しめる約束はよくない。反対に社会的常識として、約束厳守は人間社会の基本ルールだともいう。
私自身は約束を守るほうである。
全ての約束を履行したとはいわないが、約束を守る部類に入ると言っていい。

しかしながら、私は約束を履行された事は少ないのだ。
約束を履行しない癖のある人は非常に多い。
夫々に事情があるのだから、約束を履行できなくても仕方ないと言い聞かせてきた。
しかし、神との対話を読んでからは、仕方がないなあと無理なく思えるようになりつつある。



それでも、私は自分の約束を履行しようと苦闘する。
これが自分の生き方なのだ。

できない約束や苦痛を伴う約束はするべきではない。
自分を縛る、自分を苦痛にする約束は破棄しても構わないだろう。
もし、これらの約束をした場合は、土壇場で破棄するのではなく、事前に相手方に破棄する旨を勇気を持って伝えるべきだ。それが最低限のマナーであるし、相手への思いやりである。

人は幸せになる為に生まれてきたのだから、自分が不幸になるような約束に縛られるのは良くない。
私も、相手が約束履行するのに苦しみ続ける姿を見るのはとても辛い。

私は相手に約束の遵守は求めないが、私自身はこれからも約束履行を遵守していきたい。
私は約束に縛られて苦しむことが多いが、少なくとも相手にはこのような思いはさせたくない。
こういう生き方が私らしい。

私は約束を反故にされても、笑っていられるような寛容な心を持ちたいと思う。
そうなれば、たくさんの幸せを日々感じられる感性が持てる。
許すという寛容な気持ちがあれば、無用な怒りを感じることもなく、いつも笑い、喜びながら生きていけるに違いない。
私は、そんな人になりたいなあ(なれるものならば)。

追記
約束を守れない人は、言い訳が多いし、土壇場で逃げる傾向があるとは思いますが、それを承知で付き合っていけばいいと思います。
そのような方を恐怖心で約束履行を迫っても、根本解決にはならないような気がします。
そのような方であっても、事前に「こういう理由で約束履行できなくなったよ」と言って頂ければ安心して付き合っていけると思います。
それさえ言わない人に関しては、この方は土壇場で逃げるかもしれないし、約束を守らない傾向が強いことを承知した上で付き合えばいいと思います。

自分が周囲から信頼されなくなる、あるいは信頼されるようになる、いずれを選択するのかはご本人が決定すべき問題であると思います。
要は無理せずに、あるがままに接していけばいいのではないかと思います。



(=^◇^=)(=^.^=)(*^◇^*)(-^〇^-)

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