人生波乱愉悦万丈記 - 最新エントリー
一歩でも前に出る人生から一歩下がって道を譲る、そんな生きかたもある。
そんな生き方を負け犬の人生と呼ぶ人もいるかもしれないけれど、人に道を譲って知る人生の味わい
というものがある。
ハードな生き方だけでは心が荒む、そんな生き方の人間ばかりだと社会が荒む。
ただ前だけを見て生きた人生から一番後方から皆の後姿を見てゆっくり歩く。もし自分にも何かチャンス
が巡ってきたら、その時は有難く受け取ればいいし、そんな幸運が来なくてもあせることはない。人生は
短いようで、結構長いもの。俺のような年齢になっても焦ることはない。
自分が踏む次の舞台はすぐそこにあるのだから。
自分の善意をわかって欲しいのならば、善意を伝える努力、工夫をしないと、相手はあなたの善意に気づかない。
人間は評価されないと生きてはいけない動物だから、あなたの善意からでた行為であっても、誰かに認められたいという思いを消すことはできない。
もし、誰に認められずとも、誰に評価されずとも、自分の行為を誰かに横取りされようとも、自分自身が満足すればそれでいい。
そんな生き方ができる人こそが、真のスピリチュアル人間に違いない。これまで私もそんな生き方を志していて、自分のしたことを他人に喧伝するようなことは一切しなかった。人の数倍もの仕事量を押し付けられても、それを他人に言うこともなかった。
でも、そんな自分を誰かに認めてほしいという思いはやはりあったし、自分のしたことをさも自分がしたように言う人間には怒りの感情もあった。もう人生も終盤なのに、まだまだ青い生き方をしているなあと、最近つくづく思う。
だがやっぱり私の目指す生き方は、他人の評価ではなく、大いなる究極の「自己満足」である。
さあ、今日も反省して明日にそなえるとするか。
人間は評価されないと生きてはいけない動物だから、あなたの善意からでた行為であっても、誰かに認められたいという思いを消すことはできない。
もし、誰に認められずとも、誰に評価されずとも、自分の行為を誰かに横取りされようとも、自分自身が満足すればそれでいい。
そんな生き方ができる人こそが、真のスピリチュアル人間に違いない。これまで私もそんな生き方を志していて、自分のしたことを他人に喧伝するようなことは一切しなかった。人の数倍もの仕事量を押し付けられても、それを他人に言うこともなかった。
でも、そんな自分を誰かに認めてほしいという思いはやはりあったし、自分のしたことをさも自分がしたように言う人間には怒りの感情もあった。もう人生も終盤なのに、まだまだ青い生き方をしているなあと、最近つくづく思う。
だがやっぱり私の目指す生き方は、他人の評価ではなく、大いなる究極の「自己満足」である。
さあ、今日も反省して明日にそなえるとするか。
人生には山もあれば、谷ある。そんなことわかっちゃいるけど、谷に定住したような時期が長らく続くと、山に登れる気がしなくなるし、明日への希望さえも遠くにいってしまう。
どうして、自分ばかりが苦とばかり向き合わないといけないのかと、自暴自棄になってしまう。どんな人でも楽ばかりはないとは思うものの、世の中をスイスイ渡っている人もいる。有り余るお金で豪遊している人もいれば、今日一日の食事を節約せざるえない貧乏な人もいる。
私は、どれだけ回避しようとしても、やってくる苦というモンスターを避けることなく、喜んで受け入れることにした。苦の中で学ぶささやかな気付きを楽しみに生きる。苦の多い人生を投げやりになることなく、苦の中で人生を自分なりに楽しめばいい。
他人の家の芝生などには目もくれず、ただ生きていることに感謝する。悲しみや怒りも生きていればこそ味わえる感情。俺達、底辺の人間がいるから金持ちの存在がある。労働者がいるからこそ、経営者が存在する。モテナイ人間がいるからこそ、モテル人間が存在する。
自分に与えられた宿命は変えようもないかもしれないけれど、この人生を歩けるのは世界中で自分ただ一人だけ。そう考えて、胸を張って生きていこう。
どうして、自分ばかりが苦とばかり向き合わないといけないのかと、自暴自棄になってしまう。どんな人でも楽ばかりはないとは思うものの、世の中をスイスイ渡っている人もいる。有り余るお金で豪遊している人もいれば、今日一日の食事を節約せざるえない貧乏な人もいる。
私は、どれだけ回避しようとしても、やってくる苦というモンスターを避けることなく、喜んで受け入れることにした。苦の中で学ぶささやかな気付きを楽しみに生きる。苦の多い人生を投げやりになることなく、苦の中で人生を自分なりに楽しめばいい。
他人の家の芝生などには目もくれず、ただ生きていることに感謝する。悲しみや怒りも生きていればこそ味わえる感情。俺達、底辺の人間がいるから金持ちの存在がある。労働者がいるからこそ、経営者が存在する。モテナイ人間がいるからこそ、モテル人間が存在する。
自分に与えられた宿命は変えようもないかもしれないけれど、この人生を歩けるのは世界中で自分ただ一人だけ。そう考えて、胸を張って生きていこう。
皆さん、アライグマが日本に棲息しているのはご存知ですか?
元々、アライグマは北米原産であり、日本には生息していなかった。しかし、近年ペットとして飼われたアライグマが遺棄もしくは逃亡したものが野生化するようになったとのことです。
このアライグマが近畿圏内(都会ではない)に出没するんです。ある朝、農家の方が自分の畑に目をやると、自分の畑のトウモロコシが全て引き抜かれたとのこと。当然のことながら、農家の方は大激怒です。何せ、一年の働きがパーになる訳ですから怒って当然です。
この農家の方のみならず、近隣の農家も同じような被害にあってるとのことで、近所で犯人探しをしていたら、アライグマの仕業だと判明し、捕獲したとのこと。
農家から見れば、このアライグマは自分達の生活を脅かす敵です。しかし、このアライグマは、日本人が北米から連れてきて、遺棄したり、逃がしてしまったりしたことで、アライグマの天敵のいない日本で繁殖がすすんでしまった。
いうなれば、我々の身勝手さが生んだ事態といえます。この農家の方も被害者なら、自分の意思とは関係なく日本に連れてこられたアライグマも被害者です。自分達の欲や趣味で生態系を壊すようなことは慎むべきではないかと思います。
元々、アライグマは北米原産であり、日本には生息していなかった。しかし、近年ペットとして飼われたアライグマが遺棄もしくは逃亡したものが野生化するようになったとのことです。
このアライグマが近畿圏内(都会ではない)に出没するんです。ある朝、農家の方が自分の畑に目をやると、自分の畑のトウモロコシが全て引き抜かれたとのこと。当然のことながら、農家の方は大激怒です。何せ、一年の働きがパーになる訳ですから怒って当然です。
この農家の方のみならず、近隣の農家も同じような被害にあってるとのことで、近所で犯人探しをしていたら、アライグマの仕業だと判明し、捕獲したとのこと。
農家から見れば、このアライグマは自分達の生活を脅かす敵です。しかし、このアライグマは、日本人が北米から連れてきて、遺棄したり、逃がしてしまったりしたことで、アライグマの天敵のいない日本で繁殖がすすんでしまった。
いうなれば、我々の身勝手さが生んだ事態といえます。この農家の方も被害者なら、自分の意思とは関係なく日本に連れてこられたアライグマも被害者です。自分達の欲や趣味で生態系を壊すようなことは慎むべきではないかと思います。
最近、確信にかわったある気付きを備忘録のつもりで書いてみようと思います。先日、ある科学者の方に、失礼とは思いながら、「経済も科学も、我々を豊かにしたり、便利な社会を到来させてくれたかもしれないけれど、豊かな社会、便利な社会と人間の幸福とは比例しない」と自分の意見を述べさせて頂きました。
幸いにも、その方は怒ることなく、私の意見にただ頷いておられました。
私は、経済も科学も我々を幸福に導いてはくれないと確信しています。今の企業社会には大局観がない。夫々の会社には立派な企業理念があり、それを実践し、素晴らしい会社に成長され、この世はそんな会社ばかりになっても、この地球上の大気汚染は進んでいくし、交通事故も少なくならないし、犯罪もなくなるとは思えない。企業は小石のようなものにしかすぎず、それを無数に積み上げても、城壁にはならない。
現代人は、ひたすら豊かさや便利さを追い求めてきた。しかし、それだけで、我々の後に続く者達を幸福に導いてやることができるのだろうか。豊かさ=幸福だと考えるのなら、今のままでいいのかもしれない。100年後の社会がどうなっていても、関係ない、自分の生きている今の時代さえよければいい。そんな考え方が今の企業社会にはあるのではないだろうか。
幸いにも、その方は怒ることなく、私の意見にただ頷いておられました。
私は、経済も科学も我々を幸福に導いてはくれないと確信しています。今の企業社会には大局観がない。夫々の会社には立派な企業理念があり、それを実践し、素晴らしい会社に成長され、この世はそんな会社ばかりになっても、この地球上の大気汚染は進んでいくし、交通事故も少なくならないし、犯罪もなくなるとは思えない。企業は小石のようなものにしかすぎず、それを無数に積み上げても、城壁にはならない。
現代人は、ひたすら豊かさや便利さを追い求めてきた。しかし、それだけで、我々の後に続く者達を幸福に導いてやることができるのだろうか。豊かさ=幸福だと考えるのなら、今のままでいいのかもしれない。100年後の社会がどうなっていても、関係ない、自分の生きている今の時代さえよければいい。そんな考え方が今の企業社会にはあるのではないだろうか。
今を生きる者は、自分達が生きている時代とそのすぐ先の時代しか考えていない。
水道哲学でこの世は豊かな社会をもたらしたのかもしれないが、ふと上を見上げると、高圧電線だらけの光景を目にする。高圧電線、電磁波と人間の健康との関係が明確に証明されない限り、この状態は容認される。健康とは一切関係なくても、大自然と調和した本来の姿とは大きく異なる。私達の100年先の子孫達は、私達の時代よりも、もっと悪化した環境の中で生きていかざるえない。それが現代の名経営者や政治家がもたらした「今」なのである
水道哲学でこの世は豊かな社会をもたらしたのかもしれないが、ふと上を見上げると、高圧電線だらけの光景を目にする。高圧電線、電磁波と人間の健康との関係が明確に証明されない限り、この状態は容認される。健康とは一切関係なくても、大自然と調和した本来の姿とは大きく異なる。私達の100年先の子孫達は、私達の時代よりも、もっと悪化した環境の中で生きていかざるえない。それが現代の名経営者や政治家がもたらした「今」なのである
ある経営者が今日を限りにビジネスの世界から去る。
内部留保を数億残し、数人の社員だけを残し、後の社員全員に退職金を支払い、彼が30数年の月日をかけて築きあげた帝国を、本日限りで実質閉鎖するそうだ。
この方と私は色々因縁もあり、今も複雑な感情をお互いに抱えているが、正直な気持ちを言うと、やはり残念でならない。私は幸いにも様々な経営者の方々とお会いする機会がありましたが、そんな第一線の経営者と比べても、この方の経営能力はやはり秀でていたように思います。ただ、下記の3要素が、この方の他の資質とうまく絡みあわなくなっていったような気がします。それが、私がこの方から学ばせて頂いた最後の教訓のような気がしています。
教訓1:顧客に支持されない商品や企業は存在しえない
教訓2:人が離反する組織は弱体し、やがて消滅する。
教訓3:現場感覚を忘れた経営は暴走、迷走し、組織を衰退させていく。
私は資本主義はこの世をゆるやかに滅亡させると考えている。そういう訳で、金儲けにはもう関心がないが、「この世の道は無限なり」を指針に、これを機会に否定し続けてきた資本主義の片棒をかついでみようかな。そうすれば、この方の心の闇を理解することもできるかもしれないと、ふと感じている。
さらば、偉大なビジネス戦士よ!
ゆっくりお休みなさい。
内部留保を数億残し、数人の社員だけを残し、後の社員全員に退職金を支払い、彼が30数年の月日をかけて築きあげた帝国を、本日限りで実質閉鎖するそうだ。
この方と私は色々因縁もあり、今も複雑な感情をお互いに抱えているが、正直な気持ちを言うと、やはり残念でならない。私は幸いにも様々な経営者の方々とお会いする機会がありましたが、そんな第一線の経営者と比べても、この方の経営能力はやはり秀でていたように思います。ただ、下記の3要素が、この方の他の資質とうまく絡みあわなくなっていったような気がします。それが、私がこの方から学ばせて頂いた最後の教訓のような気がしています。
教訓1:顧客に支持されない商品や企業は存在しえない
教訓2:人が離反する組織は弱体し、やがて消滅する。
教訓3:現場感覚を忘れた経営は暴走、迷走し、組織を衰退させていく。
私は資本主義はこの世をゆるやかに滅亡させると考えている。そういう訳で、金儲けにはもう関心がないが、「この世の道は無限なり」を指針に、これを機会に否定し続けてきた資本主義の片棒をかついでみようかな。そうすれば、この方の心の闇を理解することもできるかもしれないと、ふと感じている。
さらば、偉大なビジネス戦士よ!
ゆっくりお休みなさい。
先日、N社の名物社長のことがBSで放映されていた。私は最後の20分間しか見ていないけど、その凄いパワーに圧倒されると共に、その経営哲学は私のような下々の人間にも大いに参考になるものだった。
いつもは批判的に見ているのだけど、この時ばかりは「凄いなあ」と関心しきりだった。
でも、この人も単なる経営馬鹿だなと思う。
この人が生きている間は、今の生き方で問題ないけれども、今より明日、明日より明後日、そして100年先の未来の地球の環境汚染は更に進む可能性がある。絶滅する種も増えるだろうし、食料の問題もでるかもしれない。いつの時代も資本主義は環境問題をいつもなおざりにしてきている。経営者やその下で働く者達も、資本主義は絶対的普遍のものとして、疑問にさえ感じない人が多い。
この世に絶対などありえないし、いつかは資本主義さえも廃れる時がくるだろう。
ただ、自分達の生きている間は起きない可能性が高いだけ。
いつかは、この平和で国全体のセキュリティーの甘い日本の安全そのものを揺るがす大事件が起きるかもしない。そうなれば、平和ボケの日本は上に下への大騒動になるだろう。そんな事態が長続きすると、経済への影響は避けられないだろう。この世の繁栄は平和だからこそ得られるのである。中には戦争で儲けている商人達、その恩恵を受ける産業もあるのだが、大きな視点でみれば、国の平和こそが経済の発展につながる。
だから、経営者は会社を大きくすること以上に、社会への関わりにもっと関心を持つべきだ。社業の発展こそが社会への貢献という考えだけではあまりにも視野が小さいといえるのではないか。
私のような名もなき雑草が語る言葉よりも、大輪の花の言葉の方が重く、その影響力は計りしれない。社業が停滞しても、国が繁栄し、世界が繁栄し、地球との共生が進めば、経済も繁栄し、会社も繁栄するのではないだろうか。
いつもは批判的に見ているのだけど、この時ばかりは「凄いなあ」と関心しきりだった。
でも、この人も単なる経営馬鹿だなと思う。
この人が生きている間は、今の生き方で問題ないけれども、今より明日、明日より明後日、そして100年先の未来の地球の環境汚染は更に進む可能性がある。絶滅する種も増えるだろうし、食料の問題もでるかもしれない。いつの時代も資本主義は環境問題をいつもなおざりにしてきている。経営者やその下で働く者達も、資本主義は絶対的普遍のものとして、疑問にさえ感じない人が多い。
この世に絶対などありえないし、いつかは資本主義さえも廃れる時がくるだろう。
ただ、自分達の生きている間は起きない可能性が高いだけ。
いつかは、この平和で国全体のセキュリティーの甘い日本の安全そのものを揺るがす大事件が起きるかもしない。そうなれば、平和ボケの日本は上に下への大騒動になるだろう。そんな事態が長続きすると、経済への影響は避けられないだろう。この世の繁栄は平和だからこそ得られるのである。中には戦争で儲けている商人達、その恩恵を受ける産業もあるのだが、大きな視点でみれば、国の平和こそが経済の発展につながる。
だから、経営者は会社を大きくすること以上に、社会への関わりにもっと関心を持つべきだ。社業の発展こそが社会への貢献という考えだけではあまりにも視野が小さいといえるのではないか。
私のような名もなき雑草が語る言葉よりも、大輪の花の言葉の方が重く、その影響力は計りしれない。社業が停滞しても、国が繁栄し、世界が繁栄し、地球との共生が進めば、経済も繁栄し、会社も繁栄するのではないだろうか。
人間が生きている間には喜や楽の時間よりも、怒や哀の時間が長いに違いない。
人は皆、なんとか喜や楽の時間だけが来るように望むものの、自分に降り注いだこの雨はいっこうに止む気配さえない。
「あぁ辛いなぁ、悲しいなぁ、早く健康になりたいなぁ、早くお金がほしいなぁ、早く愛されたいなぁ。」と嘆いても、状況は変わる気配さえない。
人は知識だけでは、物事の本質を掴むことができない。健康もお金も愛情も友情も失って初めて、その有難さがわかる。
「あの時、もっと大切にしてあげればよかったなぁ。」とそう思える時、人は確実に成長しているに違いない。
順風満帆な人生よりも逆境の人生にこそ、貴重な学びがある。
そう思えれば、自分に降り注いでいる雨にも感謝の念を抱けるのではないだろうか。
人は皆、なんとか喜や楽の時間だけが来るように望むものの、自分に降り注いだこの雨はいっこうに止む気配さえない。
「あぁ辛いなぁ、悲しいなぁ、早く健康になりたいなぁ、早くお金がほしいなぁ、早く愛されたいなぁ。」と嘆いても、状況は変わる気配さえない。
人は知識だけでは、物事の本質を掴むことができない。健康もお金も愛情も友情も失って初めて、その有難さがわかる。
「あの時、もっと大切にしてあげればよかったなぁ。」とそう思える時、人は確実に成長しているに違いない。
順風満帆な人生よりも逆境の人生にこそ、貴重な学びがある。
そう思えれば、自分に降り注いでいる雨にも感謝の念を抱けるのではないだろうか。
精神世界の教えはよくわからない。
《やりたいことをやりなさい》という教えがある。
《いや、できることをやるべきだ》という教えもある。
《いやいや、楽しいことをやるべきだ》という教えもある。
私の友人は、こんな教えに遭遇する度に牛若丸をしてしまう。
やりたいことをしても失敗する人が多い、
だからできることをするのだ、だから楽しいことをするのだということらしい。
私なら、楽しいことを選択する。
今は楽しくなくても、未来の自分が楽しめるものを選択する。
私の信条の一つに、体験は知識を凌駕するというものがある。
体験程、素晴らしい学びはこの世には存在しない。
失敗とは物資的な利益を喪失したことを指すから、上記のような議論が生まれる。
健康もお金も友人も愛情も失ってみてこそ、初めてその有難さがわかる。
この世は体験しないとわからない学びが存在する。
この世に生を受けた者には使命や生きるテーマがある。
それがなんなのかを探る意味でも、様々な体験をしないとわからない。
そして体験は楽しくなくては意味がない。
世間の常識では苦であっても、自分にとってはどうなのかが問題だ。
私は壮絶な過去体験があるが、今となれば楽しいと思える。
そう、今は苦痛でも、将来楽しいと思えるなら貴重な体験だ。
単に世俗的な成功だけを望むなら自分の器を見極め、
できることからコツコツやるほうが絶対にいい。
しかしながら、私は楽しい、将来楽しいと思えるものを選択し、体験していく。
私は、笑っている自分、楽しんでいる自分、喜んでいる自分、
過去の壮絶な体験に負けなかった自分が一番好きだ。
これからも、かけがえのない自分を磨いていきたいと思う。
《やりたいことをやりなさい》という教えがある。
《いや、できることをやるべきだ》という教えもある。
《いやいや、楽しいことをやるべきだ》という教えもある。
私の友人は、こんな教えに遭遇する度に牛若丸をしてしまう。
やりたいことをしても失敗する人が多い、
だからできることをするのだ、だから楽しいことをするのだということらしい。
私なら、楽しいことを選択する。
今は楽しくなくても、未来の自分が楽しめるものを選択する。
私の信条の一つに、体験は知識を凌駕するというものがある。
体験程、素晴らしい学びはこの世には存在しない。
失敗とは物資的な利益を喪失したことを指すから、上記のような議論が生まれる。
健康もお金も友人も愛情も失ってみてこそ、初めてその有難さがわかる。
この世は体験しないとわからない学びが存在する。
この世に生を受けた者には使命や生きるテーマがある。
それがなんなのかを探る意味でも、様々な体験をしないとわからない。
そして体験は楽しくなくては意味がない。
世間の常識では苦であっても、自分にとってはどうなのかが問題だ。
私は壮絶な過去体験があるが、今となれば楽しいと思える。
そう、今は苦痛でも、将来楽しいと思えるなら貴重な体験だ。
単に世俗的な成功だけを望むなら自分の器を見極め、
できることからコツコツやるほうが絶対にいい。
しかしながら、私は楽しい、将来楽しいと思えるものを選択し、体験していく。
私は、笑っている自分、楽しんでいる自分、喜んでいる自分、
過去の壮絶な体験に負けなかった自分が一番好きだ。
これからも、かけがえのない自分を磨いていきたいと思う。
